校歌

本校の校歌は昭和25年1月16日に制定され、2月17日の新校歌発表会が第二回卒業生を送る 「サヨナラパーティー」 を兼ねて開催された。
 詞は募集し、応募総数32点の中から中村地平氏らにより長嶺宏氏の詞が選ばれ、園山民平氏が作曲した。長嶺宏は旧制宮崎中学卒業生であり、新制高校の初代教頭でもあった。園山民平は旧制第一高女の校歌も作曲しており、県内音楽界ではなじみ深い人であった。

~校歌は後輩に送るメッセージ~ 長嶺 宏
 その年は五月雨が早くきて、いつまでも降りつづいた。四月二十日も朝から雨が振っていた。われわれ教師も生徒も自分の机を両手に持って、雨に濡れながら黙々と大宮小学校まで運んだ。私たちはそこで三か月勉強しました。毎日降りつづく雨で、教員室から教室へゆく道は泥んこであった。私はその時受けた屈辱の思いをいまだに忘れることができない。そのとき心に深く焼きつけられた屈辱の思いが校歌のモチーフである。
 われわれは戦争によって多くのものを失った。しかしどんなことがあっても決して失ってはならないものがあるはずだ。どんな強大な力でも壊されないものがあるはずだ。永遠に変わらないものがあるはずだ。それを求めるのが教育ではないか。そう思って、真・善・美というイデーに到達した。こうして校歌は生まれたのである。
 この校歌は、かつて同じ学校で学んだ一人の先輩が、後輩諸君へ贈る遺言である。最後につけ加えれば、真・善・美のイデーを包括するもう一つの大きなイデーのあることを忘れてはならない。 平和である。

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